〜小田急バス私設ファンクラブ〜

おまけのページ

▲三鷹駅南口で発車を待つ多磨霊園行き(現在の鷹52)
富士重工−いすゞ(型式不詳)のツーマン仕様車。
中央は幼少期の筆者=1964年11月23日撮影
ISUZU BA

●「ツーマン車」の思い出

 小田急バスにワンマンカー第1号が入ったのは1961年のことでしたが、以後10年ぐらいまでは、三鷹市内でも運転士と車掌がペアを組む「ツーマン」路線が多数ありました。
 筆者は68年から毎日の通学で、東京駅丸の内南口〜武蔵境駅南口の路線(現・宿44系統)を利用しました。帰り道に自宅最寄りの「地蔵前」停留所が近づくと、車掌さんに「つぎおります」と申告。車掌さん(女性が多かったようです)は「次は地蔵前、願います」と復唱した上で、車掌席のブザーを「ブッブッ」と2回鳴らし、運転士に知らせていました。
 この系統は3社共同運行で、京王帝都電鉄(現京王電鉄)、東京都交通局の車両にも多く乗りました。小田急バスの車両は吉祥寺持ち。希少価値の富士重工−三菱車(A506,A507)がたまに入っていて、土曜日の帰りなどにこの車に当たると、何だかものすごく幸せな気分になったものです。
 「地蔵前」という名前は、停留所の近くに小さなお地蔵さんが祭ってあったことに由来しますが、現在は廃止されてしまいました(調布市内に現存する同名の停留所とは無関係です)。

●通学路でマスターした「社番の付け方」

 バス通学を始めてしばらくすると、陸運局のナンバープレートとは別に、車体の四隅に書いてある「C929」などの表記が気になってきました。もちろん正式な付番体系など知らなかったものの、毎日乗っているうちに「アルファベットが営業所、3ケタの数字がシャシーのメーカー」という法則が分かるまで、さほど時間はかかりませんでした。こうなるとマニア心が頭をもたげてくるのは自然の道理で(笑)、現在に至るまでのバス趣味の基礎が、このころ出来上がったというわけです。現在の番号体系はこうなっています。

●謎の停留所

 こうしてバス趣味が芽生えてきたころ、自宅に近い三鷹市下連雀7丁目の一角に、時刻表のないバス停留所が片方向のみ建てられました。停留所名は「大成高校」、行き先は「新川団地」。従来からの大成高校バス停は三鷹通りにあり、国際基督教大学行きや仙川行きが現在に至るまで頻繁に行き交っていますが、山中通りの東側に当たるここは路線がありませんでした。
 新しい路線ができたかと楽しみにしていたのに、「新川団地行き」がここを通ったのを確認したことは一度もなく、近くの工場の慰安旅行か何かで貸切車が止まっていたのを見かけただけ。数年たって気がついたときには、停留所は撤去されていました。停留所のあった場所には、現在も「バス路線 駐車禁止」と書いた三鷹警察署の立て看板があります。
 時刻表のない停留所といえば、新百合ヶ丘駅から鶴川駅にかけての津久井道(世田谷通り)にも、神奈川中央交通(淵24系統)の各停留所に小田急バスのポールが並んで建っています。1983年夏に町田営業所が開設される前は、生田営業所〜柿生・鶴川間に回送を兼ねた客扱い便があったようですが、現在はいったい何のためにあるのか分かりません。しかもわざわざローマ字併記の新しいポールにしてあったりして、いよいよ謎は深まるばかりです。
 ※2001.1.31補足※現在の淵24系統と全く同じルートで、かつて小田急バスも路線を持っていたことが分かりました。もちろん現在は小田急バスが走ることはありませんが、上記の謎に関係がありそうです。

●吉祥寺のオートマチック試作車

 1970年、吉祥寺の三菱−富士重工車2台が代替となり、A506とA507に代わりA551とA552のペアが入ってきました。A552はごく普通の車両でしたが、A551は何かエンジン音が違っていて、不思議な思いをしていました。
 間もなく、バス通学が多かった私の学校でこれが話題となり、だれが言うともなく「A551号車はオートマチック車だ」ということが耳に入ってきました。小学3年生にしてオートとマニュアルミッションの違いを初めて知ったわけです。一度機会があり、乗ってみると、運転士は確かにおなじみのシフトレバー操作をしておらず、新鮮な光景だったのを覚えています。
 A551はその後、普通のマニュアルシフトに戻されて一生を終えましたが、20年の歳月を経てAT車が復活しました。1998年春から各営業所に投入されたノンステップバスのうち、いすゞ車(9001〜9005)はオートマになっています。

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▲小田急バス生田営業所で取材中の筆者(2002年10月20日)
(ねこさんご提供の写真を当方で加工しました)

●「除籍車両」にはまる!

 そんなわけで元々小田急バスに親しんでいたことから、小田急バス私設ファンクラブの開設は自然な流れでもあったのですが、一つだけ予期していなかったことがあります。それは「除籍車両調査」旅行の面白さにはまってしまったことです。
 「元・小田急の車」を初めて意識したのは、サイト開設前の1994年、東北に旅行したときのこと。秋田駅に降り立つと、真新しい塗装をまとった秋田中央交通のバスが止まっていました。首都圏でぼちぼち廃車が始まったいすゞ車(K-CJM500)でしたが、何か「小田急バスだよ〜ん」というオーラを感じました。後で調べたら、やはり狛江にいた車で、直感は正しかったのでした。
 そしてファンクラブを始めて3年後、現・調査会長と運命的な(?)出会いがあり、気付いたときには既にドップリ肩まで浸かったバス趣味の世界…。鉄道友の会正会員のこの私が、鉄道のない沖縄県にも元小田急バスを求めて出掛けてしまいました。人間、変われば変わるもんです。
 この調査会は、元・小田急車の取材とともに、現地のさまざまなバスに出会える面白さがあります。思い出の西工かまぼこボディー(大分バス)、車齢20年以上のいすゞBU型(岩手県交通・那覇交通)など、東京では絶対見られないものばかり。さらに旅をぐっと楽しくしてくれるのが、バス取材を通じて知りあった、現地の方々との交流! バスを追い求め走り回った後は、地元民おすすめの料理と酒で宴会ざんまい、これだから交通趣味はやめられません。


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