小田急バス除籍車両追跡調査会

バスを訪ねて2,000km
〜沖縄(珍)道中記

新浅川鉄道(調査会副代表)

 地元でネタが取れるから、という安易な理由で始めた「小田急バス私設ファンクラブ」。画像が1枚だけのホームページを立ち上げてから4年あまり、地元どころか沖縄旅行のきっかけにまでなるとは、だれが予想したでしょうか。那覇交通にまとまった台数の旧小田急車が入り、さらには空港内にもいるようだとの情報を得て、いつもの調査隊はついにジェット機に乗って羽田を飛び立ちました。

いきなり20年選手の登場だ!

 那覇空港では、事前にアポイントメントを取ってあった空港関係者の方2名と早速合流し、目指す車のいる場所へ向かいます。那覇空港グランドサービスで使われていたのは、わが武蔵境営業所の車、エアー沖縄の1台は吉祥寺営業所の車と分かって大感激。関係者の方々にも終始親切に対応していただき、忘れられないひとときとなりました。
 満ち足りた気持ちで空港を出てバス乗り場に向かうと、建設中の沖縄都市モノレール那覇空港駅舎の向こうに、懐かしい車体の路線バスが見えました。「ああっ、BUだBUだBUだあーっ!」と所かまわず隊長が絶叫。傍目には理解不能の会話ですが(笑)、1978年の左側通行制切り替え以来走っていると思われる、いすゞBU04型バスが来たのでした。排ガス規制の厳しい首都圏では既に全滅、全国的にも数を減らしている車両だけに、バス好きにはこたえられないシーンです。そういう時に限って、かばんの奥深く入ったカメラが、とっさに取り出せないんだなぁ。(慌てなくても市内でたくさん撮れるということは、後で分かります)

那覇交通の市外線用トップドア車(いすゞBU04)=那覇空港国内線ターミナル

 空港から旧東武鉄道のU-LV324Lと思われる那覇交通バスに乗って、次の撮影ポイントは「公園前」停留所です。ここでカメラを構えていたら、早速旧小田急車が具志営業所から市内に向かってくるところをキャッチしました。
 このころから雨が降り出し、空港で買ったビニールかさを差して、調査隊は徒歩でバスターミナルへ。何台もの空車タクシーが追い抜きざま、クラクションを鳴らして乗車を誘ってくれます。後で聞いた話ですが、沖縄では近距離でもタクシーを利用するのが当たり前で、車を見れば手を挙げなくても止まってくれることがあります。高温多湿、雨の日が多い土地柄、歩行者や自転車は少ないということです。

沖縄本島の交通の要衝、那覇バスターミナル

スコールの中、それでもバスを撮る

 2日目は本格的な雨になりました。ホテルの窓から那覇交通三重城営業所の全景を見渡すと、元祖「銀バス」のBU系、自社発注のLV系や日野の観光車に混じって、わが小田急バスの譲渡車も何台か見えます。既に前日の夕方、那覇交通本社におじゃまして在籍車の状況を予習済みだったため、雨が降っても取りあえず写真が撮れればいいやと楽な気分でした。
 表紙用に正面を撮った旧E928号車で、まずは三重城から石嶺へ。ここで現地在住のチロチロりんさんと合流する算段でしたが、首里城を通過するあたりから雨脚はさらに強くなり、10分遅れで石嶺に着いたときには傘も役に立たないほどの豪雨という状況でした。
 チロチロりんさんとは初対面のあいさつもそこそこに、乗り換えのバスに飛び乗って適当に往復した後、昼食時間となり沖縄そばを食べにいきました。御殿山と書いて「うどんやま」と読むこの店は住宅街の中にあり、古い家で目立たない風情ですが、地元では有名な店だそうです。実際に味わってみると、あっさりしたかつおだしの汁と、細めで腰のある麺のコンビネーションが絶妙で、何度でも食べたくなる逸品でした。
 昔は侍の集会所だったという店内で、振り子時計が正午を告げました。その後に聞こえるのは、軒をたたく雨音と、静かに回る扇風機だけ。時が止まったような空間で、心が安らいでいくのを覚えました。

大雨の中、石嶺営業所前で行き交う那覇交通バス

 腹が膨れたところで(元から腹は出てるってか)石嶺営業所に戻りましたが、雨はますます強くなり、調査隊は全員ずぶぬれ。そんな中、本日のターゲットである元小田急車が営業所に帰ってきました。カメラを懸命に守りながら、スコールの中に飛び出していった隊長をしり目に、筆者は屋根付き待合所の中からズーミングでバスを撮るという安易な方法に切り替えました。「ずるい、根性なしッ」と隊長にからかわれましたが、その通りです(笑)。
 そんなこんなで撮影を一通り終えてターミナルに戻り、久茂地で沖縄都市モノレール(ゆいレール)建設現場を見た後、Nakaべ〜さんと合流して4名で沖縄家庭料理の店で宴会。ゴーヤー(苦瓜)、うみぶどう(海草の一種)などの琉球料理を初めて口にし、これまた意外に美味だったのでうれしくなりました。昼はバス撮り、夜は酒盛り、沖縄に来ても追跡調査会の王道は健在でした。

久茂地のモノレール建設現場

最後の1台はついに撮れず

 最終日、元小田急車9台のうち8台は撮り終えたものの、あと1台がどうしても見つかりません。意を決して営業所の事務室でうかがうと、新川の工場に入っているとのこと。そう言われても工場がどこにあるのか見当がつかず、とにかく新川なる場所に行ってみようと、識名線のバスに乗り込みました。
 那覇市から南風原町に入り、新川バス停で下車すると、そこには銀バスの廃車の山、山、山。どうもこの辺に自動車工場があるらしいのですが、廃車が置いてあるだけで何も見つからず、結局隊長の「撤収ぅ〜」の一言で成果なく引き揚げることにしました。とはいえ、新川の丘の上から見る首里の町並みは実に美しく、これを見られただけでも良しとしましょう。最後の1台を記録することは、次回訪問時の宿題となりました。

開南交差点のバス専用信号機

 最後に、市街地の開南交差点にある珍しい「バス専用」信号機を撮影して、今回の取材はほぼ終了。ふと交差点の近くに、スピード仕上げと大書したDPE店を発見した調査隊は、ここまで撮った大量の写真をすぐに見たいという衝動に駆られました。かくして我々がドーナツ店でコーヒーブレイクしている間、写真工房あーくまじっくの主人さんは、合計200枚を超える写真の現像を1時間ちょっとでフィニッシュしてくださいました。おかげさまで帰りの空港の待ち時間、さらに飛行機の中でも、お互い写真を見比べながら取材成果を早く確認することができました。
 3日間の駆け足旅行でしたが、那覇市内のバラエティーに富んだ路線バスを十分楽しめただけでなく、沖縄の風景の美しさ、沖縄の方々の人情味にもいっぱい触れることができました。内地から沖縄に旅した人が心を癒され、元気をもらって帰途に就くことが多いという話を、実感として理解できます。小田急バスの除籍車がなかったとしても、またもう一度行きたい。すっかり沖縄の魅力に取り付かれてしまいました。

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